オヤケアカハチの居城跡
石垣島は、豊かな自然に恵まれているうえ、海の透明度が高く、見事なサンゴ礁と多種類の魚がいることでも有名です。
自然界だけでなく、石垣島には観光名所として、唐人墓など興味深い史跡もたくさんあるのをご存知ですか?
少々変わったところを観たい方におすすめなのは、穴場ともいえる観光スポットで、「オヤケアカハチの碑」という場所があります。
はたしてこの碑、一体なんなのでしょうか?
イントラレーシック
「オヤケアカハチの碑」をご紹介する前に、皆さんは、特撮番組としてあまりにも有名な「ウルトラマン」を、一度はテレビで見た経験があるかと思います。
そのウルトラマンに登場する、怪獣「レッドキング」の名前の由来が、実はこの「オヤケアカハチ」であるといわれているのです。
当時の脚本を担当した、金城哲夫氏は沖縄県出身でした。
金城氏は、地球人と宇宙人との板ばさみに悩むウルトラマンが、沖縄の立場に似ていると考えたのだそうです。
その「オヤケアカハチ」は、漢字では、「遠弥計赤蜂」または「於屋計赤蜂」と書きます。
オヤケアカハチの出身は、現在の石垣市大浜である、八重山諸島石垣島の大浜村をその根拠地とした豪族でした。
15世紀末に活躍し、別名を「ホンガワラ」ともいわれていました。
漢字では、「保武川」、「堀川原」、あるいは「保武瓦」と書きます。
オヤケアカハチは、波照間島で生まれました。幼少の頃から、その豪傑さは有名だったそうです。
その後、波照間島から海を渡り、石垣島へ行きました。
そして石垣島の大浜村に居を構えたのです。
石垣島内でも、有力豪族として勢力範囲を拡大しました。
石垣村の豪族の妹を妻にして、その一族と義兄弟の契りを交わしたといいます。
しかし、宮古諸島の仲宗根豊見親とは対立し、それが原因で、首里の尚真王が介入することになりました。
これが首里王府に反旗を翻した、ということで戦いへと発展してしまったのです。
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この乱は、「オヤケアカハチの乱」と呼ばれます。
彼はこの戦いで、尚真王が派遣した征討軍3,000人に敗北したのです。
そして討ち取られたといいます。
石垣島には、「フルスト原遺跡」という、オヤケアカハチの居城跡といわれている跡が、現在でも残っています。